公開日 2016年02月18日
能登半島の北西にある輪島市は、豊かな緑と海に囲まれた人口約3万人の町です。中世に曹洞宗の本山「總持寺」が開かれ、北前船の世紀には「親の湊」と呼ばれ海上交通の要衝として栄えるとともに、江戸中期以降は漆器業(輪島塗)が盛んになりました。
現在、「漆の里」「禅の里」「平家の里」の3つの里構想を前面に、町の魅力を発信しています。
漆の里
輪島塗の起源はさまざまな説がありますが、現存する最古の品は室町時代のものです。輪島塗の技は、長い年月をかけて確立され受け継がれてきました。その大きな特徴としては次の4つが上げられます。1.天然の木材を使う。2.天然漆を使う。3.輪島地の粉を使う。輪島産の珪藻土を焼いて粉末にしたもの。漆に混ぜることで頑丈な下地が作られる。4.布着せをする。椀の縁など弱くなりがちなところに下地工程の段階で布をかぶせる。 輪島塗は完全分業制で、完成までに木地、塗り、研ぎ、上塗り、加飾(沈金・蒔絵・呂色)といった各工程を担当する職人の技と魂が吹き込まれます。
輪島で漆器が盛んになった理由としては、古くから北前船の寄港地として海上交通の拠点であり材料、道具が調達しやすかったこと、漆、檜、あて(あすなろ)などの木々を育てる豊かな森があったこと、輪島地の粉が産出できたこと、漆が乾燥に適した湿潤気候であること、そして何と言っても、割賦販売の先駆けとなる販売網、分業制の独自生産システム、品質管理などモノづくりへのこだわりが大きな要因と言えます。
禅の里
市街地から西へクルマで30分、曹洞宗大本山「總持寺祖院」があります。鎌倉時代の半ば、1321年に曹洞宗の初祖「道元禅師」から四代目の「瑩山(けいざん)禅師」が開創しました。明治の大火災で横浜の鶴見總持寺に移転するまでの590年間、全国1万5千か寺の根本道場として発展してきました。その後、總持寺祖院として再興され、大本山のおもかげを偲ばせる幽玄な寺院として、現在も多くの観光客が訪れています。また、毎年大晦日の夜には、地元商工会議所、商工会が中心となり、山門前での御陣乗太鼓の実演、開運餅まきなどの「ゆく年くる年」のイベントが行われ、「禅の里」として発信しています。
また、平成19年の能登半島地震で壊滅的な被害を受けた祖院前の總持寺通り(商店街)は、官民連携した懸命の努力によって完全復興し、禅の里に相応しい趣ある通りに生まれ変わりました。
平家の里
壇ノ浦の戦い後、平家の武将「平時忠」は能登の珠洲に流され、この地に移り時国家の祖、平時国が生まれたとされています。
市街地から東へ車で30分、町野町にある「本家・上時国家」「能登安徳合祀時国家」は、源平・壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門のうち、「平家にあらずんば人にあらず」で知られる武将・平大納言時忠の末裔と呼ばれる時国家の豪壮な邸宅です。両家とも約800年の歴史を受け継ぎ、現在に至っています。